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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

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Le Fruit Deffendu
Belgian Ale
Hoegaarden
Hoegaarden, Belgium

「禁断の果実」という誘惑的な名前に負けない強い印象を持った、ヒューガルテンのエールである。

うちの近所の酒屋では、ヒューガルテン醸造所のビールは普通の「ヒューガルテン(ヴァイスビア)」「グラン・クリュ(アルコール度数が高いスペシャルエール)」と、この「禁断の果実」を扱っている。



どれもおいしく、値段も大差ないので、切迫した懐でない限り、「グラン・クリュ」かこれを買っている。個人的には「禁断の果実」の方が味わいが濃い(よりこってりしている)と思えるので、こちらを買う機会が多い。

このエール、なかなかエッチなラベルなのだが、この絵はもちろん、旧約聖書のアダムとイブが、神様から「食べちゃダメ」と言われた木の実を、蛇の誘惑に負けて「食べちゃう」有名なシーンに引っかけたものだ。元ネタはルーベンス作「楽園のアダムとイブ」。原典には、当然ビールは描かれていない。

聖書ではまず蛇が「イブ(女)」を誘惑して木の実を食べさせ、そのあと「イブがアダム(男)に」木の実をすすめて、二人で木の実を食べたところ、「知恵」が与えられたため、お互いが「裸」であることに気づいて急に恥ずかしくなり、陰部を無花果の葉で被う。
二人のその姿に、彼らが「恥ずかしい」という感情を得たことを知った神様は、「お前たち、木の実を食べたなっ!」と怒って、二人を楽園から追い出しちゃう、というのがこの話の大筋なのだが、「だから男より女の方が罪深い」「女の方が誘惑に弱い」などと理由づけられ、長く女をおとしめる根拠づけに使われてきたのだから迷惑な話だ。

この「原典」を知った上でこのラベルを見ると、あれっ、と思うところがいくつもある。例えば「禁断の果実(この場合ヒューガルテン)」をすすめているのは明らかに「アダム」で、イブはおずおずとこの酒を口にしようとしているように見える。原典とは解釈が逆だ。
そしてよく見ると、彼女の陰部は無花果の葉で被われている。ということはこれは、木の実を口にしたあとの話ではないか?
さらにアダムは、この写真ではよく見えないかもしれないが、無花果の葉を「手に持っている」ように見える。

実は、ルーベンスの元ネタ(を見るにはこちらのサイトをどうぞ。秀逸です。)では、イブがたたずんでいるのは無花果の木陰で、ラベルでは切られてしまっているが、二人の陰部を被う無花果の葉は、故意に隠そうとつけられたものではなく、あくまでも、画の都合上「さりげなく陰部のアタリに無花果の枝が伸びている」という感じで描かれている。
性器を露骨に描くことが許されなくなっていた時代の作品だから仕方がないけど、ちょっと興ざめ。禁断を犯す前の二人なら、無花果の葉を描くべきじゃないでしょう、ルーベンスさん。

知に対する好奇心を「恥ずかしいこと」として「禁断」にし、封印を破ったために罰を受けた、という発想、いかにも権力者が考えたっぽい。この神話を真剣に信じている人が世界には今も大量に生息していて、かつその正当性をこんなにも熾烈に主張し争い続けているということは、それだけみんな「自分の中のエロティックな欲望」に恥ずかしさを感じているということだ。

元ネタはあくまでも「罪を犯す前」の二人を描いたイメージなのに、ビール一つ書き加えただけで、まるで、アダムがイブを誘惑して自ら主体的に無花果の葉をはずそうとしているような画に仕立てたヒューガルテンのブランドセンス、なかなか良いと思いませんか。

このラベルは、あからさまなセックスへの誘惑を図式化しているだけでなく、明らかに「神への抵抗」も意味している。
人々の、欲望に対する罪の意識を逆手にとって、欲望のかんぬきを外す蛇(ラベルでは切られてしまっているが、原典ではイブの頭上から肩口へ、その姿を這わせている。)をビールに見立て、欲望と知性の融合を企てる広告戦略は、私の価値観とマッチしている。

私が仕事で目指していることは別の機会に書くことにして、とりあえず、私自身が蛇を身近な動物としている(蛇年。そして巳月巳の刻生まれ。なんだよね。)ということをカミングアウトしておきたい。

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by fishmind | 2006-11-30 23:28 | 産業と広告の話