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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

尼さんについて考える

尼さんについて考える_b0010426_851753.jpg

Le Monache Rosso
2004 Monferrato D.O.C
Michele Charlo
Calamandrana, Italia

インパクトがあるラベルのせいで、以前から興味を持っていた「尼僧」という名のイタリアワイン。

友達と飲む予定で買いおきしてあったのだが、先日、ちょっと面白くないことがあった日につい開けてしまった。ストックの中で一番安いワインだったから。機嫌が悪い時に上等の酒を飲んでは、いけない。



今回の評価はそのようなコンディションであったという前提で読んで頂きたいのだが、このワイン、はっきり言っていまいちだった。

まずかったわけではない。
しかし、ちょっとフルーティすぎ。ワインそのものの味よりブドウの味が勝っていて、そのわりには重めに作ってあるので、何かすごくアンバランスな印象。中重口、って表示だったわりには甘いし。

これで1000円なら、「まあこんなもんでしょう」と思えたと思うのだが、税込み2000円近くしたので、ちょっと許せない気分だ。
同じキリスト教系ラベルの「聖体」が税込み1000円だと思うと、かなり「ぼられた」感がある。やっぱスペインワインの方がコストパフォーマンスが良いのかなあ。

やはり「尼さん」は鬼門だ。近づかないようにしなければ。

キリスト教系学生時代、多くの「尼さんの先生」にお世話になったため、私の中の「尼さん」像は長く「何かにつけて私の行動をチェックし、いちゃもんをつける人」であった。大人になって、さらにいろいろな「尼さん系人物(本物の尼さん&尼ではないが強固な尼さん的思考を持つ人)」と知り合う中で、尼さんタイプにもいろいろあり、すべての「尼さん系」がつき合いにくいわけではないとはわかったが、やはり私とは本質的に相容れないところがある。

私の言う「尼さん系」は、自分の中にある「一つの大きな物語」を持っていて、その物語に「身を委ねている人」を指す。私の母もこのタイプだし、こういう広いくくり方をすると「尼さん」に分類される人はかなり多いんじゃないかと思う。

どんなに自由で先験的な考え方を持っているように見えても、自分の中の「大きな物語」を相対化できない人は、自分の中に「価値のピラミッド」を作って人を分類しようとする。そしてこのピラミッドは多くの場合、父権&母権主義的パターナリズムに満ちている。
私が「尼さん系」が苦手なのは、これらの人々が私という存在を意味づけようとする時、必ず私をこの「ジェンダーピラミッド」の中で認識しようとするためだ。そしてひとたびその枠内では私を認識できないと知るや、苛烈に攻撃してきたり、あるいは正しい方向へ教え導こうと試みる。
こんな働きかけにはすっかり慣らされているので、適当にかわしてつき合うことはできるが、「うざったい」のは事実だ。

ダヴィンチ・コードの世界的ブームを見ながら、人々が持っている「大きな物語」を解体させようとする試みの可能性について考えている。今、世界でもっとも「大きな物語」の元に人々をまとめようとしているのは、一般的に考えられているように「イスラム社会」ではなく、実はアメリカ(合衆国)と中国だと、私は思う。
どちらも「尼さん型」国家だ。

大きな国はきっと、「尼さん的」でないとまとめられないんだろう。この二国にとって献身すべき「キリスト」は「国家」。「国」をまとめる政治手法としては間違っていない。ただ私が「そんな国には住みたくない」と思うだけで。

日本政府も現在、「大きな物語」を再構築しようと試みているが、対抗しようとしている二国と比べると、物語の持つ説得力(規模、正当性、論理的基盤など)がかなり弱い。作り上げようとしている物語の基盤が弱いことを「戦後教育」のせいにするのはお門違いというものだ。もう少し精緻に「自分たちが目指すべきところ」を分析するべきであろう。
政治に必要な「大きな物語」は、ファンタジーであってはいけないのだから。

あらら。
尼さんから、やたら壮大な話に移ってしまった。
実は最近、私を「尼さん的価値観」の中で意味づけて解釈しようとしないで!って思うことが頻繁にあったので、何となくコラムに当たってしまったのである。
失礼した。

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by fishmind | 2006-06-29 08:08 | ジェンダーの話

by AYUHA