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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

酒の暴力

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Enjuku -円熟-
Happoshu
KIRIN
Tokyo, Japan

「何で発泡酒って、こんなにまずいんっすかねえ。」

心底まずそうに発泡酒を飲みながら、義弟がつぶやく。
うーーん、何でといわれても・・・と思いながら、私もまずい発泡酒をすすっている。
飲むものがなくなってしまったのだ。



実家で唯一「私の酒の相手」になるのは義弟だけだ。我が家は、外からやってきた彼(と私)以外、誰も飲めないからである。(父は、ほんの一口飲むだけで眠くなってしまうので、差しつ差されつで話をするという感じにはならない。)
しかし義弟は飲食店を経営しているので夜が遅く、夕飯で一緒に晩酌はできない。
家族揃って夕飯を食べられないのは我が家では普通のことなのだが、別の文化から来て、この家の文化になじまなければやっていけない、と家族の団らんを犠牲にすることに納得するまで、かなり時間がかかったことだろうと察する。

私は古いタイプの日本人なので、あまり家族をほめたりしないのだが、この義弟、なかなか良い男である。何しろこのご時世に、わざわざ妹と一緒になるために婿に入ってくれたのだ。継ぐべき立場の私が東京に逃げちゃって、一番とばっちりを受けたのは彼である。にもかかわらず、「たまに帰ってこられたのだから、相手をしよう」と気を遣ってくれるのだからありがたい。

実はこの日はおいしい白ワインをすでに開けていて、半分ほど夕飯時に飲み、まだ残っていたのだ。義弟も少し早く帰ってきており(それでも11時は回っているのだが)、じゃあ飲みましょうか、と二人で残りを空けた。
しかしお互いにそれなりに飲む方なので、ボトル半分などあっという間で、どちらからともなく、「もう一口何かほしいですね」ということになった。
困ったのは妹である。
ビールの1本もなかったのだ。

義弟は結婚して、夜遅く帰って食べる、という暮らしを何年か続けるうちに、かなり太ってしまった。
そこでダイエット作戦が決行され、食習慣を見直し、食事内容と食事時間、晩酌の量を制限している。おかげでスリムになってきてはいるが、まだ結婚当時には遠いので、ダイエットは続けられている。
そのため酒のストックがない。あれこれ探しているうちに、冷蔵庫の奥から父用の発泡酒缶が1つ出てきた。
「まあ、これでいいか」と二人で半分ずつ飲みながら、冒頭の会話となったわけである。

父も若干晩酌をする。ワインにはうるさいが、ビールは暑い時に一口あれば良く、そのために買ってあった発泡酒の小さい缶が1つ残っていたのだった。

しかしまったく発泡酒というのは「しみじみ飲むのに向かない酒」である。

義弟が経営しているのは焼肉店である。実家はレストランであったのだが、料理の素養や修行を詰むには時間がかかる。彼がうちに来てくれることに決めた時、長い修行時間をかけずに早く一人前に稼げる飲食業をあれこれ検討し、思い切った資本投下をして焼肉店に衣替えしたのである。
事前に相談があれば、止めたと思う。
BSEが上陸するのは時間の問題だと思っていたからだ。
結婚したのは4月。(この時初めて焼肉店にすると知り、リスクが大きすぎる、と案じていた。)レストランを改築し、オープンさせたのが8月。その2週間後、現在まで続くBSE騒動が勃発した。
どんぴしゃのタイミングであった。
私の見通しの正しさは証明されたのだが、身内に大損害が出ているので複雑な心境だ。

開店早々、閑古鳥が鳴く日が長く続いた。
いくつもの焼肉店が、仕入の難しさから閉店したという。
そんな中で、「国産和牛」一本で直球勝負と決めて仕入れ先を変えず、じっと我慢して揺るぎなく商売を続けたことで、和牛仕入れ先から信頼され、その後アメリカ牛の輸入が止まって和牛が品薄になった時に仕入がとぎれることもなく、ここに来て何とか経営が軌道に乗ってきた。
自身が開拓した地域の人脈にも支えられ、ようやく、ここで、この商売でやっていける、という自信もついてきたという。
「ここまで来るのが長かったですよ」という言葉、全くそうだろうな、と思う。まだまだ商売これからだが、逃げずによく踏ん張ったな、とねぎらってやりたいわけだ。

しかし、発泡酒である。
これが出てきた時点で、今まで交わしていたしみじみした家族の会話が根こそぎ奪い去られ、すべてが「酒のまずさ」の話題一色になってしまった。
こうなると酒のまずさも「暴力」だ。
対話を奪ってしまうのだから。
10分も経たないうちに何となく話題が持たなくなり、「もう寝ましょか」と飲み会はお開きになった。

妹よ、次からは小さい缶でいいから、ちゃんとしたビールを用意しておいてくれ。
夫が帰ってきて、ほんの一口「ビール」が飲みたいな、と言う時に、発泡酒なんか出すんじゃないよ。

飲めない人はお酒の味がわからないので、同じようなものなら安い方がいいじゃないか、と思うようである。実際、発泡酒のまずさについても、妹は「そんなに違うのか」と怪訝そうだ。(違うよ!)
何で発泡酒がまずいのか。
「文化の中から自然に培われた食品ではないから」という一言に尽きると思う。税逃れの酒は、歴史的にいろいろと開発されてきた。税逃れとして開発されても、おいしければ文化として残っていくだろうが、今のところ「これなら残るな」という「国産大手メーカー開発」発泡酒にはお目にかかっていない。(しかし、ある意味で新しい発泡酒文化が強制的に培われつつあるとも言える。私にとってはあまり嬉しくない文化の醸成であるが。)

今日紹介したのは、最近試してみて、それほど「ダメ」でなかった発泡酒である。なぜそれほど「ダメ」に感じなかったか考えてみたが、おそらくアルコール度数が高い(6%)からだ。このままもう少し(9%くらいまで)度数を上げてみてはどうか。少しはマシになるのではないかと思う。
しかしこれでもまだ、しみじみ飲むには不向き。発泡酒が耐えられるのは、友達とわいわい楽しく飲んでいるか、好きな人と飲んでいて何でもおいしい、というシチュエーションの時だけだ。

そして年齢が高くなるほど、そのような時間は持ちにくくなる。
発泡酒がマーケットに出回れば出回るほど、日本では、ビールは大人が飲む酒ではないと思われるようになるに違いない。(若い人はビールと発泡酒をそれほど分けて考えていない。世代が変われば、発泡酒がビール、と認識されるようになるだろう。)
日本の気候と環境は、おいしいビールを生み出すのに最適なのに。
もったいないことだ。

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by fishmind | 2006-04-17 06:59 | お酒の話

by AYUHA