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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

柳田邦男氏記念講演

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TITLE:薬害エイズ裁判和解10周年記念集会
〜これまでの10年、これからの10年〜
DATE:2006年3月25日(土)13:00~15:00
BY:東京HIV訴訟原告団/弁護団、大阪HIV訴訟原告団/弁護団
AT:ホテルニューオータニ地下1階おり鶴「悠の間」
FEE:無料(懇親会¥2000)
問い合わせ:はばたき福祉事業団ネットワーク医療と人権



今月我が家に届いたイベント案内のほとんどが25日開催なのはなぜだろう。こういう開催のされ方だと、結局どれも行かれないことになってしまうのだが。

多分、年度末最後の週末だからなのだろう。助成金や委託事業でこれらのイベントが運営されていると特に、事業の年度内消化のためにこの時期に集中してイベントを開催することになりがちだ。



しかし、このイベントは「年度末」だから開催されるのではない。
10年前、1996年のの3月29日、東京と大阪で、「薬害エイズ裁判」の和解が結ばれた、その記念イベントだからだ。
それほど広く広報されていない(そして誰でも参加できる)と聞いたので、今日開催のイベント紹介になってしまうが、この話題を取り上げさせていただく。



<プログラム>

献花
主催者挨拶:HIV訴訟原告団/弁護団
来賓者挨拶:厚生労働大臣挨拶
記念講演:
「薬害エイズ和解10周年に際して」柳田邦男氏
柳田邦男氏プロフィール:ノンフィクション作家、評論家。栃木県鹿沼市生まれ
NHK記者を14年務めた後、作家活動に入る。戦争、災害、事故、公害、事件、病気と医療に関するドキュメンタリー、評論を書き続けている。最近は終末期医療、脳死問題、医療事故などについて積極的に発言するとともに、言葉や絵本や心の問題についても熱い語りかけをしている。

まとめ
閉会の挨拶

懇親会(別料金)
被害実態調査報告、ミニコンサートなど。

<薬害エイズ>
1980年初期、事件は起きた。
重篤な感染症と社会差別の中で、5日に一人が亡くなるすさまじい恐怖感の中、訴訟という7年の闘争を続けた。1996年3月29日、国・製薬会社の責任を認めた画期的な和解が成立した。これをもとに、被害者の恒久対策や日本のHIV医療政策の整備が開始された。
この和解10周年記念集会を、被害者は、次の10年をさらにたくましく生きるステップとして位置づけた。今後も社会のより多くの方々からの支えをお願いするとともに、被害者の体験を通じて安全で、安心できる社会作りに微力ながら貢献していきたい。(チラシより)




「10年一昔」とはよく言われる言葉だ。1995年後半から1998年頃までは、エイズと言えば「薬害エイズ」を指していた。
1994年に横浜で、アジア初の「国際エイズ会議」が開催された。裁判の結審がタイミングに合っていたこともあり、会議を契機に世論を喚起して、薬害訴訟を一気に決着させようというムードが高まった。いくつかの大きなキャンペーンが行われ、当時の社会背景(自社さ連立政権、震災、オウム事件、厚生省汚職など)と世論のムードに後押しされて、1996年3月に裁判和解が成立。その後急速に「HIV/AIDS」の医療と社会福祉が現在の形に整えられていった。
私はHIV/AIDS報道の新聞クリッピングファイルを作っているのだが、2005年までの8冊のファイルのうち、2冊ちょっとくらいの分量が1996年のものである。1冊は「1996年2月21日〜1996年7月31日」となっている。きりの良い場所でファイルを分けることができないほど報道が多かったためだ。ちなみに次のファイルは1996年8月〜2000年12月」である。
どれほどこの時期、この「事件」の経緯が社会的注目を浴びていたかがわかる。

さて、私のクリッピングルールは、もし記事の中に、「エイズ」「HIV」などが一言でも入っていれば、記事が全く関係ない内容でも綴じる、というものだ。「エイズ」という言葉の扱われ方を調べたいためであるが、このルールでクリップしていても、2001年から2005年までは1冊にまとめられている。「エイズ」という言葉はこの間、急速に紙面から姿を消した。
しかし、私のクリッピングファイルは、この頃から収拾がつかなくなってきた。
「エイズ」という言葉は紙面から消えたが、感染症と医療、特に感染症の話題が新聞に載らない日がほとんどなくなってきたのである。O-157、BSE、SARS、鯉ヘルペス、それにH5型鳥インフルエンザ。あまりにも次から次へと起こるので、最近、鯉ヘルペスは切ったり切らなかったりだ。本当はアスベストもクリップしたかったのだが(この問題、あまり知られていないが、エイズ問題人権救済のロビーが始まった86年頃にはすでに問題提起が始まっていて、同じように無視されていたのだ。ようやく救済事業が4月から始まるらしいので、注目している)、そこまで手は広げられないと諦めた。

それまで私は選んだ記事を「エイズ」と「エイズ以外」に分け、「エイズ以外」の中に、血液や薬害、感染症などの問題を綴じていたのだが、2000年から、「エイズ以外」を「医療・感染症」と「その他」に分けた。「医療・感染症」クリップファイルは今のところ、1年で1冊というスピードで増え続けており、書架がパンクする日も近いだろうと思う。現在は、ほぼ毎日何かの記事が載っているのでファイリングが追いつかず、まだ2005年3月分(一年前だ!)までしかきちんとファイルされていないという状態である。

世間のかなり広い範囲で「薬害エイズは終わった問題」と思われているらしい。某大手新聞記者が取材に来て、「HIV/AIDS問題の最新の動きを教えて欲しい」というので薬害裁判のその後の動きを話したら、「今までに書かれていない切り口でHIV問題を書きたいので、薬害以外で教えてください」と言う。その記者にとって「薬害エイズ」は「書かれ尽くした」問題であるらしかった。今までに書かれていないことでないと、記事を採用してもらいにくいとも言っていた。

1989年頃、1995年頃、2003年頃に「大手新聞」に掲載された3つの社説のコピー(実はもっとある。どのくらい同じような社説がファイルの中にあるか、一度数えてみよう。)を比べてみると、どれも「エイズの広がりに対する危機意識」「若者への啓発の重要性」「差別や偏見があるのが問題」という起承転結になっている。記事が書かれた年(や感染者の数)を隠したら、どれがいつのものかわからないだろう。なぜ世間が無関心なのかについての突っ込んだ分析もない。(他人事ではない、と書いてあるだけ)

「『something new』ism」は結構だけど、表面的な問題提起だけを延々と続けるマスコミの役割って何なんだろう?
「薬害エイズ」を起こした社会の構造的な問題は、日々発生する感染症問題にどのように対処するか、という疑問に直結していると思うのだが、これらの報道に何かの形で「薬害エイズ」が引き合いに出されることは少ない。
延々と事件を(それも、自分たちが「世間が興味を引くだろう」と思った事件を選んで)伝えるやり方は「起こってしまったこと」しか伝えられない。
「今起こりつつあること」や「起こる可能性があること」をどのように伝えるか、という手法は、記者たちはあまり持っていない。手っ取り早く取材することができないからだ。

アスベストの問題は、少なくとも92年頃(これは私がHIV問題に本格的に関わり始めた年なのではっきり記憶しているが、問題提起自体は86年頃から行われていたはず)にはすでに「かなり大きな問題に発展する可能性がある」と考えて何とかしようとしていた人がいたことを、私は知っている。彼らは「マスコミがこの問題に興味を持たない」ことを嘆いていた。今やアスベスト問題は「解決すべき急務の課題」と騒がれているが、「何を今頃騒いでいるのか」と私はちょっと腹立たしい気持ちでいる。

「薬害エイズ」は、マイノリティ(社会的少数者)が社会構造の中で大きな被害を受けた時に、社会が彼らに何をするか、ということをわかりやすい形で社会に示した。結果論になるが、「水俣」や「慰安婦」のように、社会や運動体の中に「論理のねじれ」を生じさせにくい(もちろんねじれはあったのだが、「政府の不作為」がねじれに比して相対的に大きかったため目立たなかった)、構造のわかりやすさが、最終的には多くの人を巻き込んだ社会的な「運動」の広がりを生んだと思う。

しかし最近中心になってきている「BSE」「SARS」「H5型」の問題は、「薬害エイズ」の構造的な問題を引き継ぎながらも、「政府」「民間(営利非営利の組織)」と「個人」が「社会の安全」という目的にどのように責任を担い、どのようにお互いがチェックしあえば、権利の侵害を最低限に抑えることができるのか、という「大きな問い」を投げかけている。
「国家の安全」から「人間の安全保障」へ、という現在の国際的な動きとも連動しているこの問いは、「べき」論で読み解けるほど簡単ではない。
国家や政府が個人の生活を守りきれなくなり、世界が個人に丸投げされようとしてきていることに、ちっぽけな「生き物」の集合体である私たち一人一人がどのように対応すればいいのかを、みんなで考えていこうと呼びかける働きかけが必要だ。

この集会が「柳田邦男講演会」をメインに持ってきた意図は、多分その辺にあるのだろう。私は出かけるつもりだが、会場にどのくらいマスコミ関係者が来ているかを、よく観察してこようと思う。もし彼らがあまり来ていなければ、今起こりつつある問題と、過去に起こった問題を結びつけて考える力(歴史観)を彼らが持たないことの証明になるだろうし、もしマスコミが大勢来ていれば、また違った「彼らに対する評価」ができる。
どちらにしても、「次の10年」は感染症と人権をテーマに持つ者にとって重要な10年になることは間違いないだろう。

このイベントが、私に将来への期待を抱かせるものになるのか、あるいは失望しか残さないものになるのか、現時点では全くわからない。

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by fishmind | 2006-03-25 10:20 | 感染症の話