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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

先住民シンポジウム

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TITLE:2006年 第二次先住民族の国際10年記念ワークショップ
先住民族研究・支援活動における責任と義務
〜先住民族の権利と国際機構の視点から考える〜
DATE:2006年3月25日(土)、26日(日)
TIME:25日10:30〜16:45、26日9:30~12:00
AT:東京ボランティア・市民活動センター(JR飯田橋駅すぐ)
BY:市民外交センター先住民族の権利ネットワーク
FEE:¥1500(2日分・懇親会は別料金)
申し込み・問い合わせ:市民外交センター事務局(塩原)
indigenousnet@hotmail.com



お断り。
掲載の写真は、ご紹介するイベントとは何の関係もありません。

通常このブログのイベント紹介には「チラシ画像」を使うのだが、このチラシ、字が多くてスキャン画像にしても全く意味がないので、我が家にあったデンバー公立図書館(Denver Public Library,Western History Department)ポストカードの写真を載せることにした。作者のコピーライトは切れている(Edward S Curtis, 1910年撮影)が、公立図書館にコピーライトがあるみたいなので、密告しないでくださいね。



このイベント、一応「先住民の問題に興味がある学生やNGO活動に興味を持っている人対象」となっているので、高度に専門家向けの議論がされるわけではないと信じたいのだが、チラシを読んでると「思いっきり専門家向けかも?!」という気持ちにさせられて不安になる。

内容は次の通り。


2006年 第2次・先住民族の国際10年記念ワークショップ
先住民族研究・支援活動における責任と義務
〜先住民族の権利と国際機構の視点から考える〜

1995年から2004年まで続いた「先住民族の国際10年」を通じて、日本社会では先住民族問題への関心が高まり、これまでになくたくさんの人々が学術研究やNGO活動をつうじてこの問題に関わるようになりました。先住民族問題に関心を寄せる人々が増大したことは、第1次10年の大きな成果のひとつでした。しかし、これは先住民族の権利促進に役立ったでしょうか。
2004年の国連総会は、2005年1月から2014年12月を「第2次・世界の先住民族の国際10年」とする決議を採択しました。これからの10年では、こうした研究者や支援者の拡大によって、世界の先住民族をめぐる状況を確実に前進させていくことが重要です。しかし、多くの場合、部外者である研究者や支援者は、どうすれば権利の促進に貢献できるのでしょうか。
本ワークショップでは、先住民族について学ぶ学生や、先住民族を支援するNGO活動に関心をもっている人々を対象として、国連人権システムと先住民族の権利保障の視点から先住民族研究・支援活動のあり方を考えます。学問的視点と市民運動の視点をどのようにむすびつけて、先住民族問題にどう取り組むべきかといった問題を、参加者全員で討論していきます。みなさまのご参加をお待ちしています。



<スケジュール>

3月25日(土)
場所:会議室B
テーマ:国際政治の中での先住民族問題:その権利の視点と国連システム

10:30〜開会
10:45〜12:00
基調講演:上村英明「第1次10年の経験と意義」
12:00-13:00 昼食
13:00〜14:30
セッション1:藤岡美恵子「ジェンダーと先住民族:活動の現状と問題へのアプローチ」
14:45〜16:45
セッション2:「国連の先住民族権利システムとNGO・市民活動」
(コーディネータ)木村真希子
(報告者)苑原俊明「先住民族はどのような権利を必要とするのか」
中田好美「北タイ先住民族NGOのグローバルな活動への取り組み」
塩原良和「市民外交センターの近年の活動と先住民族の権利ネットワーク」

17:00〜 懇親会(別料金)




3月26日(日)
場所:会議室A
9:30〜11:00
テーマ:日本の研究者・支援者のあり方と先住民族:「研究・支援」か新たな「搾取」か
(司会:上村英明)
テーマ:「研究者の果たせる役割、果たせない役割:研究は諸刃の剣」
(報告者:スチュアート ヘンリ)
テーマ:
「国家の無関心と国民の熱心:現在、アイヌにとって政治とは?」
(報告者:マーク・ウィンチェスター)

11:00-12:00:総括討論



<参加申込・お問い合わせ>
参加ご希望の方は、下記まで電子メールまたはファクスで氏名・所属・連絡先(電話番号または電子メールアドレス)・懇親会への参加の有無をお知らせください
市民外交センター事務局(担当:塩原良和)
メール:indigenousnet@hotmail.com
ファクス:045-961-1665

<会場>
東京ボランティア・市民活動センター
※JR総武線・飯田橋駅西口隣 「セントラルプラザ」 10階
http://www.tvac.or.jp/

<市民外交センター>
先住民族の権利問題に取り組むNGOとして1982年に発足。1999年には国連経済社会理事会における「特別協議資格」を取得し、アイヌ民族や沖縄の人々の国連での活動をサポートしています。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/
<先住民族の権利ネットワーク>
先住民族の権利運動支援のための情報公開・共有を目的として2003年に発足。先住民族の国際人権活動データベースの公開や、国際人権に関する勉強会などを開催しています。
http://jns.ixla.jp/users/indigenousnet566/index.html


人権問題に明るい人は上記チラシ文面を見て内容を判断していただくことにして、玄関先の敷居を下げる意味で、「先住民問題?何それ?」という人に、私にとっての先住民族問題に関わるエピソードを紹介しようと思う。これを読んで「先住民問題」に少し興味が持てた方は、ぜひイベントにも足を運んでみてください。




日本で「先住民問題」というと「アイヌ問題」が思い浮かぶ人が多いと思うが(違う人もいるでしょうが、一般論。)私は「アメリカ先住民=インディアン」の先住民問題の方に先に出会った。「世界の神話・民話」というシリーズ本が家にあり(当時大学で英文学を学んでいた叔母のものだった)、この中の「アメリカの神話・民話」の巻の約3分の1が「インディアンの物語」に割かれていたためだ。当時は「インディアン」や「ちびくろさんぼ」の物語が児童文学にあふれていた時代だったが、この本は元の神話・民話が忠実に紹介されており、民話の最後には必ず「部族」が表記され、あとがきには「部族の特徴」すなわち遊牧とか狩猟中心の生活なのかとか定着農業をしているとか、主にどのあたりに生活しているかなどの解説が付いているという丁寧さだった。小さい子どもが読んで面白い、起承転結がはっきりした話はほとんど載っていなかったのだが、この本は私のお気に入りだった。

さて、その次に私が「インディアン差別の歴史」に出会った本は以前紹介したので省略する。大学に入った私は、1年の教養課程で、北沢方邦先生という「ホピ・インディアン」研究者の音楽の授業を選択した。北沢先生は当時、ホピ・インディアンの音楽と神話を日本古来の神話学に関連させて分析した本を出版したばかりで、これを授業テキストにも使っていたが、私はこの本の、中国、日本、先住アメリカ民族の神話的思考の共通性と、生命の循環についての考え方の分析に惹きつけられた。現在彼の研究がその専門分野でどう評価されているかは全く知らないが、当時は「彼の業績は全く中央で評価されておらず(そして思想的に問題だとも思われて)、だからこんな地方の大学に島流しにされている」というのが、学生たちのもっぱらの噂であった。(我が出身大学には当時、そんな噂を立てられている先生が結構いた。総じて面白い教官が多く、得したと思っている。)

その2年後(チェルノブイリ事故の翌年)の夏、コロラド大学ボウルダー校に約3週間滞在することになった。自然科学、特に環境と農業の問題を専攻していた私は、着いたその日から、乾いた風と「赤い大地(コロラドの原意)」の上にスプリンクラーで大量に水をまいて作られた芝生や、巨大工場で完全管理されている畜産農家のやり方に目を奪われた。(これは最近BSE問題のニュースでよく取り上げられる映像なので、ご存じの方も多いと思う。)
「(幼い頃TVで見たような)典型的なアメリカ的価値観な暮らし」に強烈な違和感を感じる中で、大学にあった、先住アメリカ人の文化や芸術を研究するセクションで「先住民族の暮らし」の記録写真に出会い、彼らが自然の営みの中で培った価値観が自国文化のそれと非常に共通していると感じたのは、生まれて初めて異国に暮らしたせいだったろう。
しかし、パーティに招待された家の庭先で虫の声を聞きながら、この乾燥した大地にも「八百万」の神々が「いる」ことを確信する一方で、当時ブームになりつつあったディープエコロジー思想には、「アメリカ的価値観」に感じるのと同じような違和感を感じている自分にも気づいていた。

自然保護や環境が独立した学問分野として大学の科目に取り入れられ始めた最初の頃であった。当時の議論を反映するように、大学には2種類の「自然保護」講座が設けられ、農学部学生は「できるだけ二つとも」受講するように指導された。一つは「自然保護のためには、人が侵入しない地域を広く指定しなければならない」という視点で自然保護政策を策定する必要があるという講座。もう一つは、人間が自然を管理しながら自然を守る、という発想で、できるだけ自然を利用できるような自然保護政策を作らなければならない、という講座であった。二つとも受講した学生がどれほどいたかは知らないのだが、私は「二つとも」受講し、そして「二つともに」無理を感じた。

おバカで遊び回っていた学生ばかりであったが(カリキュラムの締め付けが厳しくなっている今の大学生の方が当時よりずっと勉強している。)、大学生がその時代の雰囲気を敏感に感じ取る人々であることは変わらない。まだ目新しかったディープエコロジーや精神世界にはまるヤツ(だからオウム事件の時、中心メンバーのほとんどが同世代だったのをみて「あ〜あ」と思いつつ「やっぱりな」とも思った。)、殺生がイヤで解剖学実習(必修)をボイコットするヤツ、山にこもりに行ったきり降りてこないヤツ。
「日本の農業には先がない」と方向転換を図って、ほとんど学校に行かなくなったヤツ(これは私)もいた。

さて、方向転換した私が次に「インディアン」に出会うのはそれから約10年後。
今の仕事で、ノースダコタのリザベーション(先住アメリカ民族文化保護区)で行われている、アメリカ先住民向けのHIV/AIDSとアルコール依存問題啓発ワークショップの取材に行った時だ。

私はこの時初めて、彼らと直接話をする機会を得た。
実は取材中の私の一番の疑問は、ワークショップの内容ではなく「なぜすべての記述が『Indian』なのだろう?」ということだった。「インディアン」という表現は差別語で「ネイティブ・アメリカン」と呼ばなければならない、と習っていたのに、出会う文献(だけではない。ガイドブックやポストカードなどの観光グッズも)はすべて「American Indian」と書かれている。

ビスマルク(ノースダコタの州都)には、先住アメリカ文化に則った授業を行うカレッジがあり、ここの保健センターの人に話を聞きに言った折、併設された伝統工芸保存の工房を見学させてもらう機会を得た。職人さんたちは、私が日本で出会ってきた多くの「職人のおっちゃん」たちととてもよく似ていた。外見もだが、態度が、である。
シャイで、「写真を撮らせて欲しい」と頼んだら「寿命が縮むからイヤだ」という。
日本のおっちゃんたちも、よくそういうことを言うのだ。笑ってしまった。
写真を撮らせてもらいながら、「Indian」という表現について、おっちゃんの意見を聞いてみた。

「インディアンは差別表現って聞いたけど。」
「そういう時代もあったみたいだねえ。まあ最近はインディアンって言うのが普通だよ。どっちにしても、呼び方は向こう(their choice)が決めることさ。最初にヨーロッパから人が来てわしらをIndianと呼んだから、ずっとわしらはそうなんだと思っていたし、呼び換えだって彼らの都合。Native AmericanだろうがIndianだろうが、わしらはわしらさ。(このあたり、アイヌという言葉の意味との共通性を思い起こさせられた)」
「私はどう呼んだらいいのかな?」
「それは、あんたが決める(your choice)ことだろう。」

先住民族の国際10年、半ば少し前の話である。

私は、すべての取材の中で、このおっちゃんとの対話が一番心に残っている。
おっちゃんの言葉は、あれこれ考えさせられていた私には「あんたの文化に根ざした仕事をしなさい。」と言っているように聞こえた。このおっちゃんはだから、私の今の仕事に大きな影響を与えた師匠の一人と言ってもいい。(この文化は「自国文化」という意味ではない。念のため。)

取材したワークショップは参考にはなっても、日本では使えないやり方ばかりであった。
実はこのワークショップ、シカゴの黒人コミュニティで行われて非常に成功したプログラムを、同じ「マイノリティ」だからという理由で「リザベーション」に持ち込み、大失敗したという過去があり、先住アメリカ文化が引き継いできた伝統的な価値観を背景に、新しくプログラムを組み直して、今は効果が上がっているという話を、取材中に聞いた。
行動を変えるプログラムを開発したいなら、そのコミュニティが引き継いできた文化の延長にそのプログラムが位置づけられていなければ失敗するよ、ということを示すエピソードだが、この教え、当たり前のようで、実は文化の優位性に差があると見落とされがちなポイントなのだ。施策を考える側が、自分たちの優位性を(意識的、無意識的に)押しつけようとするからである。(アメリカ文化を専攻している友人にこの話をしたら、「そのおおざっぱさ、ありがち〜」と笑っていた。)

オチ、である。
試行錯誤の末、私がなんとか「あのおっちゃんに見せても」恥ずかしくないワークショップを実施できたと思ったのは2000年。
アイディアを「犬夜叉」に取り、私の中では「犬夜叉式」と呼ばれている、小学生向けのこのプログラム開発中に起こったエピソードを、最後に紹介する。

この企画は、某行政外郭団体の依頼で開発し、依頼主は某行政の社会教育担当者であった。企画会議で、私は何度か「インディアンリザベーションで行われているワークショップ」について発言した。(おっちゃんのことは話さなかった。)
夜、その行政担当者から自宅に電話がかかってきた。いろいろな理由から電話をかけて来たのだが、要するに「今日の会議であなた(私)が信用できなくなった」ということが言いたいらしかった。会議中の私の発言が、いろいろと気に障ったようだ。(まあ私がちょっと乱暴な物言いをすることがあるのは確かだが。)
特に「インディアン」という表現を使っていたことが、彼に「この人は本当に差別の問題をわかっているのか」という不信を抱かせたらしい(差別語を平気で使うような人、という意味)と話の途中で気づいたので、私は、おっちゃんの話をした。
彼はしばし黙り、「なぜその話を会議中にしなかったのですか?」と言った。
「なぜあなたは言葉のことを、会議中に質問しなかったのですか?」私は返した。

悩ましいのは、どうやら私たちのネイティブ文化は「いかに語らないで伝えるか(特に公共=共有される場で)」に価値をおいて発達してきたらしいということだ。語りを最小限にして伝えるには、一つ一つの言葉の意味が語り合う人々の間で普遍化・共有化されていなければならないが、変化の激しい現代社会では、言葉の意味が言わずもがなになるより前に、細かく分裂、変化していく。
小さなコミュニティに分断された「ムラ」社会に適応したコミュニケーションの作法が、時代に全く対応できなくなっているにも関わらず、引き継いできた文化としてのコミュニケーション作法が変わるには時間がかかる。
かくして、言葉は、今までよりもさらに細かく裁断された小さな「コミュニティ」の中でしか通じないものになり、それぞれのコミュニティがそれぞれの興味を元に意思疎通を行う無数の「タコツボ」が転がっているかのような社会が生まれてきていると思う。

こんな場所で、一つのツボから"のそのそ"はい出して隣のツボのヤツとコミュニケーションしようと思うなら、言葉の意味を確認することから始めて、何が共有化でき、何が共有化されていないのかを一つ一つ洗い出す作業から取り組まなければならないだろう。最初の作業にかかるであろう膨大な時間を想像すると目眩がする。「お互いに深く知り合いにならなくてもうまくやっていけばいいじゃないか」という気持ちにもさせられる。
自分たちが生きているスパンでは、文化としてのコミュニケーションの方法は変えられないだろうし、もし変わったとしても、時代のスピードに私たちの身体感がついていけない限り、その変化が常に「後からやってくる」ものであることは変わらないだろう。

でも、言葉を発する(行動する)って、可能性に満ちた行為なのである。
誤解を恐れて黙っている方が安全だという考え方の方がまだまだ一般的かも知れないけれど、そのやり方を採用する限り確実に「可能性」は狭められていく。
一つの言葉を思い切って発することで、あのおっちゃんと私が交わした会話のような出来事が、あなたにも起こるかもしれない。
もちろん、危険な目に遭う可能性もあるけれど、閉塞感の中で生き延びられる隙間を探すより、「危険なチャレンジ」に打って出る方が、先がわからないだけ「今よりマシ」かもしれないのである。

孤独な閉塞感の中からはい出した「タコ」が増えれば、文化は変わる。
もしあなたが、今いる蛸壷の中で何となく閉塞感を感じているなら、このあたりで思い切って、取っつきにくそうなよその「たこつぼ」、"のそのそ"覗きに出かけてみませんか?

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付記:ある行政担当者についてのフォロー。電話事件があった後、担当者は基本的に私が考えてやっていることに「口出ししない」ことに決めたようだった。プログラム開発中、実施中を通じて、いろいろと思うところもあったようだが、私がやろうとしていることを見極めようとしているようにも見えた。凝り固まった行政官がこういう態度を取ることがどんなに難しいか私は知っているので、彼が、彼自身が言うように「優秀な行政官」であることは間違いないと思っている。
プログラムが半ばを過ぎ、子どもたちの行動にはっきりした変化が表れて来るまで、彼は自分の判断(私に依頼して本当に良かったのかどうか)に自信がなかったようだ。プログラムが終了してからも、私がやろうとしていることの「意味」が見えていた訳ではないことは、振り返りの反省会の対話でわかった。しかし「満足な結果が得られた」とは言ってくれた。
行動変容ワークショップの評価は難しいし、評価の俎上に乗せようと研究発表に仕立てることも難しい。私はボランティア関連の研究誌にこの報告を載せようとして「体裁が整っていない」とリジェクトされている。
紹介するシンポジウムには「研究者の役割」を考えるセッションがあるようだ。分野が違っても、同じような問題が起こっているのかもしれない。もしそうなら、このシンポジウムが研究者と実践家の間を取り持ち、施策に反映させていく道に一歩を刻める内容になることを、心から祈り、期待している。
by fishmind | 2006-03-23 06:31 | イベント紹介

by AYUHA