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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

Passion lives here! TORINO!

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TITLE:Torino Paralympic Winter Games
DATE:2006年3月10日(金)〜19日(日)
BY:International Paralympic Committee
AT:Torino, Italy
FEE:不明(チケット購入ページがイタリア語しかなく読めず)



トリノパラリンピックが開催中だ。
写真はマスコットキャラクター、Neve、Aster、Griz。雪の結晶をイメージしたAsterがメインキャラクターのようである。



身体障碍者のスポーツ祭典「パラリンピック(パラリンピックの"パラ"は麻痺する"paralize"から来ている)」は、オリンピックが終わった後、オリンピックが終わった会場で開催される。
戦績は新聞の社会面で取り上げられる(ちゃんとスポーツ面で取り上げろよ、といつも思っていたが、今回は東京新聞がスポーツ面で取り上げている。ちょっと嬉しい。)ので注目してほしい。多分、そこそこメダルを取るはずである。

パラリンピックの中継は、インターネット放送で観ることができる。友人のヨットエイドジャパンOさん(日本のパラリンピック代表ヨットチームをまとめている人)がやり方をメールで知らせてくれた。
ヨットエイドジャパンのサイトに行き(別にこの手順を省略しても良いのだが、リニューアルして見やすくなったので、一度ぜひごらんください)、Paralympic Sport.TVをクリック。するとTORINO 2006 PARALYMPIC WINTER GAMESというページが開かれる。自動的に始まらなければ上に出る「if not,click here」又は「Click here to open it now」をクリックすると、ウィンドウズのメディア・プレイヤーに対応しているPCなら中継が観られる。

障碍者スポーツを観たことがない人におすすめしたいのはアイススレッジホッケー。ものすごい肉弾戦なので、「すげー」と驚嘆させられること間違いなしである。ホッケー決勝は18日。アルペンスキー大回転を片足バランスで滑り降りる選手の姿も一度観てほしい。絶句すると思う。
アルペン競技は種目が多いので、期間中ずっとどこかのゲレンデで試合が行われている。

パラリンピックは、競技の公正さを保つため、障碍ごとに細かくランクが分けられている。以前Oさんが、ヨットチームの強化選手を新しく育てたいので誰かいい人を知らないか、と問い合わせてきたことがあったが、「背が高くて、全盲か片腕で、スポーツの好きな人」を紹介しろ、と言われた。ヨットの場合、この障碍程度が一番レースに有利なんだそうである。
「身長と障害程度は譲れないが、多少鈍くさくても鍛えれば何とかなる」とも言っていた。
ヨットエイドジャパンは単なるスポーツ振興団体ではなく、障碍者バリアフリー実現のために政策提言を行っている市民団体である。毎年のアジアレース出場枠を獲得し続けることは、活動への支援者を集め、政策提言力を維持するためにもっとも必要なことであり、次々と有望な若手を発掘しなければならないという使命感がこういう相談の仕方をさせるんだと思うが、私はともかく、こういう言い方をされたら反発を感じる人もいるんじゃないかと思うな、Oさん。

パラリンピック選手派遣には「障害者福祉の一環(!)」として厚生労働省から若干の予算が付いているようだが、普段の練習は選手個人の負担と寄附、それからボランティアたちの労働力で、ほとんどがまかなわれている。ヨットの場合、全国から選手が琵琶湖に集まって強化練習するのだが、費用はすべて選手持ち。O氏によれば、雀の涙ほどの強化費用を貰うのに協会に会費を納めなければならず、ようやく降りてきたお金もロープなどの消耗品を買ったら終わり、という情けなさなのだそうである。
何とか選手の移動費用くらいは会で負担したいと、現在、北京遠征費用を稼ぐ寄附キャンペーンを始めている。

冬のパラリンピックに話を戻す。
ゲレンデやリンクの整備、障碍者スポーツの場合はアクセスの問題もあり、夏よりも冬のスポーツの方が社会が豊かでないと選手は育たない。貧しい国が南に偏っている影響があるとはいえ、オリンピックも、冬の方が貧しい国からの出場者が少ないことを知っている人も多いだろう。
今日の時点で、日本はメダルレース8位。もちろんアジアでは1位、個数だけなら4位のアメリカと並んでいる。ロシアが最多。ドイツ、ウクライナ、アメリカ、フランス、オーストリア、カナダと続いて、日本とほぼ同列に地元イタリアがいる。

この順位をどう評価するか考えるために、種目別獲得メダルをチェックしたら、現時点でロシアとウクライナのメダルの半分がバイアスロン競技のものだった。射撃とクロスカントリースキーを組み合わせた、静と動の動きのコントロールが難しいと言われるこの競技が私は好きだ。射撃がスポーツとして一般的でない日本では、トップ選手が警察官だったり、自衛官だったりしてとてもマイナーなのだが、北欧やロシアでは国民的スポーツの扱いを受けている。
パラリンピックのバイアスロン競技の扱いの大きさを見て、「障害者リハビリテーション」が、もともと負傷した軍人の「名誉回復」という視点で作られた概念だったことを思い起こした。
ドイツとフランスは、バイアスロン、アルペンとメダルがばらけており、オーストリア、イタリアはお国柄らしく、アルペンでかなり勝っている。

公式サイトを細かくチェックしているうちに、いろいろと不思議なことに気がついた。福祉先進国と言われ、夏のパラにはものすごく強い選手団を送ってくるといううわさのスウェーデンがメダルを取っていない。弱くなったのだろうか?
それに、種目にアイススレッジレースがないのはどうして?長野と比べて種目が少ないなあ。

どうもパラリンピック、今回大幅なルールの見直しを行ったらしい。競技レベルが上がり、「一般の鑑賞に堪えられるように」なってきたため、種目別の障害区分を少なくしてできるだけ健常者と同じルール、フィールドで戦うスポーツ大会に組み替え、オリンピック委員会との提携を進めるとともに企業からの資金援助を受けて「稼げるスポーツ大会」にしていこうという考えらしい、
言うまでもないことだが、障碍者福祉が進んでいる国ほど、パラ・スポーツも盛んで選手も強い。パラ・スポーツが「障害があったってこれだけできる」ことを示すものだった時代は終わり、純粋に「良い記録を出す」ための競技大会に移ってきたことで、障害程度のごまかしや、ドーピング問題も起こるようになった。
そういう方向性で行くなら、今後はオリンピックの中に「Para種目」を立てて一緒にやるようにすればいいのに、と思う。

メダルレースの背景を考えるなら、国家の福祉施策(バリアフリー度)とともに、個々の選手強化のバックアップがどの程度整っているのか、という点も比較しなければならない。他国の障害者バリアフリーがどの程度整っているのかを詳しく知っているわけではないが、日本のバリアフリー政策の現状に照らしてこのメダルの数(17日時点金1,銀4,銅1)はかなり良い成績なんじゃないかと思う。
日本の福祉政策が、いくらまだまだ欧米福祉先進国に比べて貧しいと言っても、国全体が平均的に豊かである、という点では、他国に比して優位なのは事実だ。その面で障害者者福祉が底上げされていることに加えて、選手一人一人が、自分が選手として強くあろうとしているだけでなく、障碍者スポーツトップ選手としての「社会的責任」を背負った個人として頑張っていることが、この成績を生んでいるのではないだろうか。

もしパラリンピックの選手紹介に触れる機会があったら、彼らの所属先に注目してほしい。公務員、非営利団体、自営が多く、民間企業に所属している人は少ない。所属企業は、障害者雇用に積極的な大企業に偏っている。(国際障害者スポーツ写真連絡協議会が日本選手団を詳しく紹介しているのでごらんください。)
日本の障害者雇用の現状は貧しい。運良く障害者枠で採用されたとしても、正規雇用で安定した収入が得られている人はごくわずかだ。能力に関係なく「障害者である」というだけで採用を敬遠する企業が圧倒的に多い日本の実情で、仕事とスポーツを両立させてトップ選手である彼らはエリート中のエリート。自分たちがしっかりしなければ障碍者の可能性を社会にアピールできず、次の人たちが続かない、という強い責任感が、勝負態度の全面に出ている。

メダルの数に一喜一憂するのは良い。パラ・スポーツが競技として洗練されていくのも喜ばしいことだ。しかし、パラスポーツが「鑑賞に堪えられるスポーツ」として一般マーケットに乗せられる中で、「障害があってもできる人」にのみチャンスが与えられ、全体の福祉向上が進まない言い訳(頑張ればできるのに、頑張らない人が悪い、というような)に使われていくことになったら、この競技会の主旨は本末転倒になるのではないか。
国家間の競争(代理戦争)としてのオリンピックゲームという批判はすでにある。パラリンピックがそれに追随するのであれば、「エリート主義」と、福祉政策の根幹を支えている「人権尊重」という考え方のねじれを、ゲームの中に抱え込んでいくことになるだろう。
パラリンピックの今後の方向性に、注意を払っていくつもりだ。

ヨットエイドジャパンは、毎回選手村から、支援者全員に絵はがきを送っている。この絵はがき、現地のボランティアが大量に調達して、日本から打ち出したラベルシールをもっていって貼り、そこに選手が一筆書いて選手村のポストから投函する、という手間がかかっており「皆さんの支援で今回も出場できました。頑張ります。」という主旨のことが書かれている。
私はこの「手書きの一筆」はボランティアが書いているのだろうとずっと思っていたのだが、「全部選手が書いている」のだと最近知った。入村したらまず最初にするのがその作業で、大会中に日本に届くよう、できるだけ早く投函する。
「それじゃ、練習できないんじゃないの?」と尋ねると、O氏曰く「本番前に練習したってメダルには届きゃしないし、はっきり言って出場枠さえとれれば本番の成績はどうでもいいんだ。(トップが強豪揃いでレベルが全然違うらしい)現地の写真、選手村の消印、選手の一筆が入ったはがきが国際郵便で競技会の最中に届くことが、支援者の心理に与える影響は大きい。我々の目的はバリアフリーの推進であり、社会の理解を拓くために競技会に出場し続けるんだってこと。だから、この絵はがきを書く方が練習よりも重要なんだと選手たちには言い聞かせているし、彼らも寝ないではがきを書いてくれるよ。」

バリアフリーの推進。
パラリンピックゲームが、新聞の社会面ではなくスポーツ面で取り上げられるようになってきたことは、意識レベルでのバリアフリーが少し進んできたことを示しているのだろうか。
記録やメダルの数、選手個人の社会的資質やバックアップしている人々の「奇特さ」を強調する(俗に「感動的な話」と言う)報道は、人々の「障害者」理解の意識啓発に役だっているのだろうか。
パラリンピック委員会の方向転換は、競技スポーツのあり方としては望ましいのかもしれない。障害者なのにすごい、ではなく一人のアスリートとしての評価が欲しい、という気持ちもあるだろう。
しかし、チャンスさえ平等に与えられず可能性を否定されている多くの「健常と認められない人々」が、選手たちの後ろ姿を見つめていることも事実なのだ。選手たちが自分たちを高めることだけに邁進すればするほど、選手たちの内面は「エリート指向」と「あるがままの自分を受け入れて生きる」という二つの価値観に引き裂かれていくことになりはしないか。

もちろん、そんな繊細な感情にはふたをして、ひたすら「マッチョに生きる」ことが、優れた選手になるためには必須の資質なのだ、と言われれば、それまでだ。
しかし、障害者スポーツがそのような考えで運営されるなら、少なくとも私は応援する筋合いはないし、そんなものは「スポーツマンシップ」とは呼べないんじゃないのか、とも思っている。

付記:ところで、パラリンピックヨットのアジア代表枠は2枠。今のところ日本はこの出場枠を確保できているが、中国が国家的にパラリンピックに参入して選手強化をしてきたら、参加がかなり危なくなってくるんじゃないか、と個人的に心配している。国家施策はほとんど期待できない中で練習している日本のパラリンピックヨットチームを、皆さんどうぞ応援してください。

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by fishmind | 2006-03-17 03:26 | ボランティアの話