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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

アイリスメガネ

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TITLE:日曜日の美術館〜私のメガネで見てみます?
BY:高畑勲(アニメーション映画監督)
DATE:2005年9月18日(日)
TIME:14:00~15:30
AT:国立西洋美術館講堂
http://www.nmwa.go.jp/
FEE:無料(定員145名)



体調を崩して二日間もダウンしてしまった。
まだ本調子ではないのだが、とりあえず国立西洋美術館の明日のイベントを告知する。
終わってからでは意味ないからね。



かの「カトリーナ」以上と言われた台風14号が午後にも上陸しそうだという日、これならきっとすいているだろうと、国立西洋美術館に出かけた。
ところが東京は雨も風もたいしたことはなく、修学旅行や夏休みのレポート、それから夏の終わりのデートを楽しむ学生たちが山ほど訪れていてあてがはずれ、やれやれ、涼みがてら久しぶりに常設展でも入るか、と館内を見ると、いきなり「アイリスメガネ」の大きな表示。
「なんだ?」と思ってよく読むと、どうやら最近、おそらく一般の人にもっと西洋美術を身近に感じてもらおうという主旨で「Fun with Collection」という企画を常設しているらしい。

2005〜6年企画タイトルはアイリスメガネとタイアップした、「いろいろメガネ〜あなたの見かた教えてください〜」。
自分なりの作品に対する見方を綴った作文コンクール(と言っても記念品がもらえるだけ)「あなたがつづったこの1点」、常設展示のいくつか(3点が選ばれ、月ごとに変わるらしい。)からタイトルをはずし、代わりに観客が自由にタイトルをつける「君の名は」、「私のメガネで見てみます?」という講演会シリーズという三本立てで、講演会の秋の部(F1というのはFallってことだろう。この企画は春からずっとやってるわけだから、今回が最初ってことはあるまい)の初回が明日。
明日のゲストは高畑勲で、このあと、 林 英哲(太鼓奏者)、 舟田 詠子(東海大学非常勤講師)、 森 英恵(デザイナー)と続く。

主旨も企画も別に悪くはないので紹介するが、今回久しぶりに常設展を見ていて、気になったので一言。(前もって言っときますが、以下は長文のいちゃもんです。)

平日の国立西洋美術館、やたらと学生が来ている。企画展の方はまがりなりにも「美術好き」が来ているらしく、若者が鑑賞する様子を見るのもほほえましいが、常設展の方で目立つのは、修学旅行らしい制服姿とレポート目的(メモを片手)の来訪者。彼らの鑑賞の様子がかなり危なっかしい。
私が目撃した女子高校生3人グループは、入ったすぐのロダンの小品群の前で、いきなり大爆笑していた。箸が転んでもおかしい年頃なのはわかるが、「説教するヨハネ」にかなり受けまくっていたので、「君たち、裸の男がそんなに面白いのかい?」と、思わず声をかけたくなった。(ただの変態オヤジだよ、それじゃ)こんなんで大爆笑しているようじゃ、ダヴィンチのダヴィデの真下に立たせたら、どんな反応することやら。

とはいえ、顔は老人だが体はマッチョなこの像に「キモい」以上の解釈を与えるには、聖書の素養が必要だ。とりあえずレポート書かなきゃと来てみたら、いきなり生々しいロダンに直面して、対処法がわからず爆笑している彼女たちを「最近の若い者は」と責めるのは、お門違いというものだろう。

国立西洋美術館の母体になった「松方コレクション」は、もともと本格的な西洋美術を日本でも身近に見られるようにしよう、という意図で集められた。中世から近代までの西洋美術が網羅的に把握されていて、西欧的な価値観や歴史、文化を日本人にわかりやすく紹介し、日本人の対「西欧」競争力を強化したい、という、当時の松方幸次郎(川崎造船初代社長)の熱意が見て取れる。
しかし、ほとんどの人が「西洋美術に初めて触れた」コレクション収集当時(大正〜戦前)と、誰でもが望めばダヴィデの足下に行けるようになった現在とでは、西洋美術に対する距離感が全然違う。「学校の美術史の授業のような」展示に特段の面白味が感じられないこの美術館から美術好きの足が遠のくのは、ある意味無理もないことだ。

だからなおさら、初めて西洋美術に触れる中高生がわかりやすく鑑賞できるような設備を整える必要が、国立西洋美術館という名前を冠する以上はあるだろうと思う。
文科省の手先のじじい(いや、手先だったら国の予算がないの知ってるからこんなこと言わないか)みたいな意見、書いててすごく嫌なのだが、美術鑑賞のレポートが出た→友達と見た→好き勝手に解釈して書いた→提出してとりあえず単位になった、というだけの授業しかできないなら美術教師をするな、と思うし、それだけの鑑賞環境しか提供できないなら、美術館も「アイリスメガネ」やってる場合じゃないだろう。

それぞれの絵を単体として、純粋に思うままに自由に鑑賞することはもちろん大切だし、それは、芸術を楽しむ本来の姿でもある。
多様な解釈や意味づけができるところを企画として強調するのはいい。

しかし例えば、無料の鑑賞ガイドを配ったり(作品リストしかない)、数名以上の中高生グループは希望すれば作品案内(ガイドボランティアを導入している博物館や美術館は増えてきている)がしてもらえるなど、本当に知識のない人のためのベーシックな鑑賞ニーズを、まずはきちんと保証するのが先じゃないのか。
松下幸次郎が泣くぞ。

高校生のなめた鑑賞態度は無理もないことなのだ。聖書の内容も知らなければ、中世の祭壇画から貴族の肖像、風景などの写実から印象派へと、絵画表現が変遷する背景にある歴史、絵描きとパトロンの関係、写真技術の発明が絵画の発達に与えた影響など、一通りの知識がなければ、なぜこれらの作品がこのように選ばれ、このような順番で並べられているのかはわからないのだから。

美術の先生も、宿題に出すなら出すで、漫然と「レポートを書け」ではなく、例えば「好きな作品を1つ選んでレポートせよ」とか、時代ごとにグループ分けして時代のポイントを調べさせたあとに鑑賞に出すとか、やり方はいくらでもあるだろう。
まだ自分で餌をとれないひよこを手に負えないからと野に放す、みたいな授業、受けさせられる方が迷惑だ。

聖人の受難を描いた絵の前でさんざんはしゃいでいた三人娘の一人が、ふと言った。
「あたしたち、こんなんで、ほんとにレポート書けるんかなあ?」

気の毒に。

みんな、国の文化教育予算が少なすぎるのが悪いんだよ。

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by fishmind | 2005-09-17 12:16 | 文化と芸術の話