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魚心あれば水心

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魚心あれば水心あり:魚と水は互いに相手を欠くことのできない密接な間柄であることに例え、相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう(広辞苑)

戦争を記録する(4)〜シベリア〜

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TITLE:没後30年〜香月泰男展
DATE:2004年2月7日(土)〜3月28日(日)
TIME:10:00〜19:00(土、日、祝〜18:00)
AT:東京ステーションギャラリー



二日間も連続して選挙マターを取り上げたせいで、すっかり消耗している。

金輪際ここでは政治マターを取り上げないぞ、と思いつつ(ま、そのうち取り上げるとは思うけどね)、今日の気分で、去年の展覧会を紹介することにした。



戦後の日本美術では、主に抽象画やインスタレーションにどちらかというと興味があり(李禹煥のファン)、この、抑留中の記憶を記した「シベリア」シリーズで有名な作家を知ったのは、不覚にもつい最近になってからだ。

昨年の正月、久しぶりに実家に帰り、風呂上がりに廊下を歩いていてふと見ると、椅子の上に画集が転がっている。(言い忘れたが、我が実家は意味不明にあちこちに画集が転がっている。)
数ページめくって、明るいところでじっくり見ようと居間で眺めていると、「なんじゃ、見つけたのか。」父の声だ。
「ずいぶん良い画集じゃない?」と声をかけると、待ってましたとばかりに、「良いだろう。小品で良いから俺は香月の作品が欲しい。香月は点数が少ないから、手が届かない値段なんだ。」とひとしきり演説して去っていった。
自分の見る目を支持されたのが、少し得意だったようだ。
言っとくけど私も収入が少ないから、買って贈ってあげることはできないよ。

このようないきさつで知った香月泰男が、その1ヶ月後に東京ステーションギャラリーに現れた。
明治時代に建てられた東京駅の駅舎を利用して作られたこのギャラリーは、天井が高くて、広くも仕切っても使え、古めかしい窓からの採光や、むき出しの煉瓦の壁を活かすこともできる。前衛的な展示が活きる器だが、何を並べてもさまになるのは、もともとの建物のデザインがしっかりしているからだろう。
自分の趣味にあった企画がわりとよく来る上に、東京駅の中、というこれ以上はない便利さから、以前は少し時間が空いたときにふらりと立ち寄ることも多かったのだが、ここ何年かは足が遠のいていた。いろいろと思い出深いギャラリーだからだ。
だが今回は、壁の煉瓦を活かしてシベリア・シリーズを並べる、という、他のギャラリーにはまねができない展示をしていると報じた新聞を見たため、最終日の終了間際、意を決して出かけてみた。
写真は、この展覧会の目玉「涅槃」。埋葬される兵士を描いた、昭和35年の作品だ。
むき出しの煉瓦の壁に、兵士たちの亡霊が埋まっているかのように展示された作品は、ちょうどイラク派兵が始まって、いよいよ日本も戦時下の他国に兵士を出すという社会のムードの中にある観客を静まりかえらせる力を持っていた。

香月は祖父と同い年。(なんと娘の名前も同じだった。ちょっと驚いた。)
同じ「丙種合格」なのだが、祖父より2年も早く採られていることを、今回年表を調べていて知った。丙種の中では最も早い時期に赤紙が来たクチだったようだ。大陸に近い山口県の出身だったせいだろう。ほぼすぐに満州配属になり、そのまま奉天で終戦。34才から36才までの約2年間、シベリアに抑留された。
帰国は昭和22年5月。その年の10月、シベリア・シリーズの第一作目「雨・牛」を仕上げている。

驚異的な作家魂だ。

とはいえ、この最初の作品にはまだ、彼独特の「黒」表現は現れていない。

シベリア・シリーズは、ある時期に集中して描かれたわけではなく、日常の風景や動物、人物などと並んで、彼のオリジナルな題材の一つとして生涯にわたって制作されているが、作品群がもっとも充実しているのが、作家が40代の約10年間だ。
特に、作家が45才、1956年の渡欧後は、特徴的な「黒」の扱いと余白を活かした抽象的な構図という彼のオリジナルが確かなものになった。

対象を緻密に写し取ろうとする意志から発展した西洋近代絵画の技法を若くして学び、持って生まれた、余白の中に想像力を埋め込む「日本的」とも言える感性を壮年期に自覚したこの作家は、しかし晩年まで、内面を描き出そうとする行為を失われたものへのノスタルジーに転化させることなく、自分の生を明確に作品に刻み続けようとする姿勢を保ち続けた。

「避難民」「アムール」「列」「飢」などに繰り返し描かれる兵士のモティーフは、彼自身が生きるために吐き出し続けなければならなかった芸術であるとともに、芸術家が自分自身を写し取ろうとする「戦争を記録する」営みでもある。
作家は述べている。


「シベリヤと日本、戦争と戦後、考えれば考えるほど私にはまだどこかちぐはぐで、しっくりしない部分が残っている。そこのところを埋めたいがために私は絵を描きつづける。それがシベリヤを体験させられた絵描きに与えられた使命だと思うからである。」

「思うにアルチザンとアルチストを区別するものはモチベーションにあるといえるだろう。アルチザンとは職業として絵かきを選ぶものであるのに対して、アルチストとは人間の生き方として絵を描くことを選ぶ者のことをいうのではないか。」(文藝春秋刊「私のシベリア」より)


父は言う。
「オレは、日本の作家の中では香月泰男が一番好きだ。」

大学時代に道端で絵を売っていた池田満寿夫を見出しているくらいで、基本的に芸術を見る目のある男なのだ。

それなのに、なんで小泉純一郎かなあ。
絵を見るのも、人を見るのも、「見る」という感受性が働く部分はかなり共通していると思うのだが。
じいちゃんが死ぬまでついに一度も戦争を語らなかったせいだろうか。(父は聞いたのだろうか。少なくとも私は一度も聞いたことがない。)

いかん、話題が昨日に戻ってしまった。

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by fishmind | 2005-09-12 12:27 | 戦争と災害の話

by AYUHA